気仙沼を後にして、次に向かったのは宮城県南三陸町です。この旅の最後の目的地を目指していきます。

気仙沼では、津波によって大きく破壊された校舎を実際に見て、そこで起きたことを、より具体的に感じることができました。そして、被災した地域の中で生きる人たちの姿や、震災を乗り越えて前を向こうとする人の強さにも触れることができました。
最後の南三陸町では、「震災をどう伝え、どう未来につなげていくのか」という、これまでとは少し違った視点から、東日本大震災について考えることになりました。
【1】 途中下車:道の駅 大谷海岸
気仙沼市から南三陸町までは、車で30分程度。昼ごはんでお腹も満たされたので、途中にある「道の駅 大谷海岸」に立ち寄ることにしました。
この「道の駅 大谷海岸」は、アニメ映画『すずめの戸締まり』に登場する休憩場所のモデルとして知られています。

そんな情報を事前に仕入れていたので、せっかくなら、子どもたちにも映画をもう一度見せておこう!ということで、旅の前に、家族で「すずめの戸締り」を見ておきました。
実際、現地に行ってみると、「あっ、映画で見たところだ!」と思える風景が目の前に広がっていました。
映画の中で登場人物が食べていたアイスクリームや、ピーナッツクリームサンドもしっかりと食べて、家族で楽しみました。こういう「映画で見た場所を、実際に訪れてみる」というのも、旅の醍醐味。そんな感じで、しばらく家族で楽しんでいたのですが、そこで僕が気になったものがありました。
道の駅に、「JR大谷海岸駅」と書かれていたことです。
【2】JR大谷海岸駅という名称の謎
道の駅に、「JR大谷海岸駅」と書かれているのですが、線路もホームも見当たらないし、なんで、駅名なんだろうと思っていて、色々と情報を見ていたら、その理由がわかりました。
震災前は、この道の駅には、駅舎が併設されていたそうです。しかし、震災の影響で、路線は廃線となり、今は、気仙沼線BRT(バス高速輸送)のバス停車場になっているようです。その痕跡として、この道の駅には、当時使用していたレールを床に埋め込まれていました。
そして、この気仙沼線BRTというシステムも、道中、「なんだろう?これ。」と思っていたものでした。こちらも調べてみると、いろいろな工夫があって、今の形があるんだなと、非常に勉強になりました。
気仙沼線BRT(Bus Rapid Transit) についてはこちら
【3】③ 南三陸311メモリアル/防災対策庁舎(宮城県南三陸町)
道の駅 大谷海岸を後にして、さらに20分ほど車を走らせると、南三陸町に到着しました。ここが、この旅の最後の目的地です。
まず訪れたのは、津波によって職員・住民43名が犠牲となった、【旧防災対策庁舎】。そして、隣接する【南三陸311メモリアル】を訪れました。
南三陸町も、陸前高田市、気仙沼市と同じように、東日本大震災当時、ニュースなどで何度も耳にした地名です。
現在、【旧防災対策庁舎】は南三陸復興記念公園の中に、震災遺構として当時の姿のまま保存されています。
実際にその建物の横に立ち、下から見上げてみると、「この建物を覆うような高さの津波がきた」という事実を知ると、恐怖しかありませんでした。

後から知ったことですが、この庁舎は、過去の津波災害の教訓をもとに、屋上の高さが約12mになるように建設されたそうです。
しかし、実際に襲ってきた津波の高さは、15.5m。屋上の床面も海抜14m弱だったそうです。
つまり、過去の災害から想定して建てられた建物の高さを、実際の津波はさらに上回ったということです。
屋上に避難した方々は、津波が屋上まで迫ってくる中、アンテナにしがみついたり、フェンスに挟まったりしながら、かろうじて命をつないだそうです。
その後、隣接する【南三陸311メモリアル】を訪れました。ここでは、他の施設同様、被災された方々が当時の状況を語る映像を見ることができます。
南三陸311メモリアルの詳しい展示内容はこちら。
https://m311m.jp/
そこで、先ほど見た旧防災対策庁舎のアンテナにつかまって生還された方の話を聞くことができました。
津波に襲われ、ずぶ濡れになった身体に冷たい風が吹きつける。気温も下がり、寒さはどんどん厳しくなる。そういった極限状態の中で、「このまま落ちて死んだほうが楽なのではないか」とまで思ったそうです。
しかし、そのとき目に入ったのが、携帯電話につけていた、愛娘の写真入りのストラップでした。
それを見て、「何としても生きて帰ろう」「生きよう」と強く思い、極限状態の中を生き抜き、無事に生還されたそうです。
この話を聞いて、胸を打たれました。
あれほどの恐怖と絶望の中で、その方を最後まで支えたのが、家族の存在だったということ。
その言葉を聞きながら、僕自身も、「家族のために生きたい」と強く思いましたし、同時に、家族を守ることも、自分に与えられた大きな役割なんだということを強く実感しました。
【4】自然災害を自分ごととして考える
そして、「南三陸311メモリアル」で、もう一つ印象に残ったことがあります。
それは、この伝承館は、これまでの2つの伝承館とは異なり、知るだけではなく、「自然災害について学び合う」ということが大きな目的でした。
正直、僕は、【南三陸311メモリアル】も、それまでの2つの伝承館と同じように、被災時の映像を見るのだろうと覚悟していたのですが、ここでは、もちろん、映像を見ますが、「もし、自分がそこにいたら、どう考えて行動するのか?」というのを、進行の方の指示のもと、家族で意見交換をするような機会を得ました。
今回は、時間の都合で、20分のプログラムしか受けることができませんでしたが、陸前高田、気仙沼、そして、南三陸と津波の恐ろしさや被害状況を見てきた後だったからこそ、僕たち家族は、「災害から身を守るにはどうすればよい?」と、具体的に自分ごととして考えることができました。
このタイミングで、この時間を持てたことは、僕たち家族にとって非常に大きな学びでした。
防災に、「これが正解」というものがあるわけではありません。災害が起きたときには、その場の状況を見極め、迅速に判断しなければならないからこそ、「そのとき、どうするか」を、普段から考えておくこと。それが、とても重要なのだと思います。
今回の熊本地震で、僕自身、実際に大きな揺れを経験しながら、避難するということすら頭に浮かばず、目の前のことに精一杯になっていました。
だからこそ、「いざというときに動けるようにするには、どうすればいいのか?」を、日常の中で考えておく必要があるということを、今回の旅を通して、改めて感じました。
【南三陸311メモリアル】は、「震災をどう伝え、どう未来につなげていくのか」という視点に立った場所だったように思います。
その意味では、僕たちのように、いくつかの震災遺構や伝承施設を見た後に訪れることで、より深く、そして自分ごととして考える機会になるのではないかと感じました。
震災の恐ろしさを知らなければ、どうしても「想定内」で物事を考えてしまいます。しかし、実際の災害は、その想定を超えてきます。
だからこそ、「この場合はこうする」だけではなく、「もし、想像をさらに超えることが起きたら?」という「万が一」まで考えておく必要があるでしょう。
避難経路や家族との連絡方法なども、普段からいくつかのパターンを想定しておくことが大切なのだと思いました。
【5】復興に向けて
「南三陸311メモリアル」を後にすると、隣接するエリアには商店街が広がっていました。僕たちが訪れたのは平日の17時前。すでに閉まっているお店も多く、人通りもまばらでした。
それでも、震災後、何もないところから、こうして街がつくられ、人が暮らし、商売ができるところまで復興してきたという事実を見ていると、ここで暮らす人たちが、どれだけ力強く生きてきたのだろうと思いました。
震災の「被害」だけではなく、そこから「復興」していく姿を見ることができたことも、今回の旅で感じた大きなことの一つです。
そして、もう一つ。
「南三陸311メモリアル」や、その近くにある橋のデザインが、とても印象的でした。

「なんだか、すごくオシャレだな」と思って調べてみると、日本を代表する建築家、隈研吾さんが手がけたものだと知りました。特に橋の構造は、「これ、どうなってるの?」と思ってしまうほど、驚きました(笑)。
こうした建築や街のデザインを見ることも、復興した現在の南三陸を知る一つのきっかけになりました。
そして、最後に向かったのが、南三陸復興記念公園内にある「祈りの丘」です。

その頂上から、海を眺めました。目の前に広がる海は、とても穏やかでした。そして、この海は、今も三陸の人たちに、たくさんの美味しい海産物をもたらしています。
一方で、ときにはその穏やかな姿からは想像もできないほどの力で牙をむき、人々から大切なものを奪っていってしまいます。
同じ海が、「恵み」も「脅威」も、同時に持っている。そんなことを考えながら、しばらく海を眺めていました。
当たり前のように過ごしている日常が、ある日突然、奪われるかもしれない…。
それは、僕自身も先日の熊本地震を経験して、身をもって感じたことです。そして今回、東日本大震災の被災地を実際に巡ったことで、その思いは、さらに強くなりました。
【6】最後に
今回の旅を終えて、自分自身が何か大きく変わったのか。正直、まだ分かりません。
明日から、劇的に何かが変わるわけでもないと思います。(だから、整理する意味でもこうやって時間をかけて、言語化してみました)
ただ、以前よりも強く、
「毎日を頑張ろう」
「しぶとく生き抜こう」
と思うようになりました。
被災地だけではありません。戦後の日本にも、明日を生きたくても、生きることができなかった人たちがたくさんいます。
僕たちが今、当たり前のように生きていられるのは、そうした多くの人たちが残してくれたものの上に、今の社会があるからです。
だからこそ、その人たちが残してくれたものに感謝しながら、自分に与えられた「今日」という1日を、精一杯生きる。それが、今を生きる僕たちにできることなのかもしれません。
日常の中にいると、1日はあっという間に過ぎていきます。
仕事をして、家族と過ごして、眠る。
そんな毎日が、いつの間にかルーティンになってしまいます。
でも、本当は、その1日も決して当たり前ではない。
今回の旅は、そんなことを改めて考えさせてくれる旅になりました。
もっと命を燃やして。
もっと前向きに。
もっと力強く、しぶとく。
今日という1日を生きていく。
そんな気持ちを、被災地から持ち帰ることができたことが、今回の旅で僕が得た、一番大きなものだったのかもしれません。
ぜひ、まだ、被災地を自分の目で見たことがない人がいたら、現地を訪れてみてください。
きっと、明日からを精一杯生きてやる!って思えるような機会になると思います。

【完】
文責:3児の父 多良 耕太郎









