この夏、家族で東日本大震災の被災地を訪れました。
2011年の東日本大震災から15年。
そして、2016年の熊本地震から10年。
2011年当時、僕は東京のジムで地震の大きな揺れを経験し、その後、テレビを通して津波の映像や被災地の状況を見ていました。
いつか一度、自分の目で被災地を見ておきたい…
そんな思いから、今年の3月ごろ、妻と相談し、夏に家族で訪れることを決めていました。
そんな中、7月28日。
熊本で大きな地震が発生しました。
その時、僕はジムでデスクワークをしていました。大きな揺れの中で、避難することすら頭に浮かばず、ただ、目の前のパソコンモニターが倒れないように支えることで精一杯でした。
その瞬間、「人は、いざという時、本当に動けなくなるんだ」ということを、身をもって実感しました。その後も大きな余震が続き、忘れかけていた地震の恐ろしさを、改めて感じる日々が続きました。
だからこそ、予定していた今回の旅を、ただの旅行にはしたくありませんでした。
実際に被災地を訪れ、自分の目で見て、感じて、知る。
そして、いつ起こるかわからない災害について、自分自身の知識として残しておく。
そんな意味を持つ旅にしようと、家族で被災地を訪れることにしました。
ここからは、今回訪れた場所で見たもの、感じたことを綴っていきたいと思います。
【1】今回の順路
今回の旅では、仙台を起点に、三陸沿岸を北上してから、南へ戻ってくるルートで被災地を巡りました。
朝7:00に仙台でレンタカーを借り、高速道路を使って約2時間かけて北上。そこから少しずつ南下しながら、仙台へ戻ってくるという行程です。

今回訪れたのは、以下の3か所。
① いわてTSUNAMIメモリアル(岩手県陸前高田市)
② 気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館(宮城県気仙沼市)
③ 南三陸311メモリアル/防災対策庁舎(宮城県南三陸町)
それぞれの場所には、おおよそ90〜120分ほど滞在しました。
一つひとつの展示を見たり、現地を歩いたり、家族で感じたことを話したり…。僕たち家族は、1か所に比較的長く滞在するタイプなので、今回はあえて3か所に絞りました。
それでも、夕方18:00過ぎには仙台に戻ることができました。
そのため、もう少し短い滞在時間で効率よく巡れば、1日でさらに多くの場所を訪れることもできると思います。
今回は「数を巡る」というよりも、一つひとつの場所で、見て、感じて、考える時間を大切にすることを目的にしました。
【2】 ① いわてTSUNAMIメモリアル(岩手県陸前高田市)
一箇所目は、岩手県陸前高田市にある、【いわてTSUNAMIメモリアル】。
災害当時、メディアで、何度も、「陸前高田市」という地名を聞いていたので、被害が大きかった場所という認識はありました。
この場所へ向かう道中、ある標識が目に入りました。
「ここから 過去の津波浸水区間」
思わず、「えっ、こんなところまで津波が来たの?」と驚きました。
そこは海岸線沿いの道でもありません。道路から海が見えるとはいえ、かなり遠くに感じる場所です。地図や数字では分からないことが、現地に来ることで初めて分かる、そんなことをまざまざと感じました。

そして、いわてTSUNAMIメモリアルは、非常に拓けた場所にありました。当然ですが、ここも津波によって多くのものが流され、更地になった場所に建てられています。
周辺には、住宅がほとんどありません。
多くの住宅は高台へ移転されており、過去の災害を教訓に、同じ被害を繰り返さないためのまちづくりが進められていることを感じました。
【3】くしの歯作戦
伝承館は、大きく4つのゾーンに分かれています。
詳しい展示内容はこちらから。
https://iwate-tsunami-memorial.jp/permanent/
まずはシアタールームで、東日本大震災当時の状況を振り返りました。
僕たち夫婦にとっては、当時、テレビで何度も見ていた映像です。一方、3人の子どもたちにとっては、初めて見る映像だったと思います。
それぞれに感じることがあったようで、映像を見終わった後も、いろいろと話をしていました。
その後、それぞれのゾーンを順番に見て回りました。
その中でも、僕が特に印象に残ったのが、ゾーン3「教訓を学ぶ」で知った「くしの歯作戦」です。
【くしの歯作戦】
https://infra-archive311.thr.mlit.go.jp/s-kushinoha.html
ここでは、東北地方整備局の災害対策室が移設展示されており、当時、その場所でどのようなやり取りが行われていたのかを、実際の映像を通して振り返ることができます。
そこで知ったのが、「くしの歯作戦」と呼ばれる道路啓開です。これは、震災翌日から、被災地へ救援物資や人員を届けるために、まずは車が通れるルートを切り開いていく作業です。
その作業を震災翌日に開始したそうです。
余震も続いています。
津波の危険も残っています。
そして、作業を指揮・実行する人たち自身も、被災者です。
家族の無事すら確認できていない人もいたと思います。
そんな状況の中で、「この道路を開けなければ、助かる命も助からない」という使命感のもと、多くの人たちが作業にあたり、震災から約1週間で道路啓開を完了させた。
その事実を、今回初めて知りました。
さらに印象に残ったのが、当時、津波で発生した瓦礫の処理にあたっていた、地元の建設会社の方の話です。その方自身も被災者でした。
それでも、「自分たちがこの作業をしなければ、助かる命も助からない」という思いで、作業を続けたそうです。
一方で、作業をしていると、「あなたたちにとっては、ただの瓦礫かもしれない。でも、私たちにとっては財産なんです」と言われることもあったそうです。
津波によって流されたものの一つひとつには、そこに暮らしていた人たちの生活があり、思い出があり、人生があります。だからこそ、ただ「瓦礫を片付ける」のではなく、そこにある人たちの想いにも配慮しながら、作業を進めていった、とのことでした。その話が、とても心に残りました。
災害が起きれば、誰もが大変な状況に置かれます。
自分自身も被災者でありながら、それでも「誰かのために」と動いた人たちがいたということです。
今回、現地を訪れて、そうした多くの方々の存在を初めて知りました。
本当に頭が下がります。
こうした出来事は、テレビやインターネットで知ることもできます。しかし、実際にその場所へ行き、展示を見て、当時の映像に触れることで、感じ方は大きく変わると思います。
もし機会があれば、ぜひ一度、現地を訪れてみてください。
「知っている」と「実際に触れる」ことの違いを、きっと感じることができると思います。
【4】奇跡の一本松
その後、伝承館を後にし、敷地内にある、震災遺構を見ました。
ここには陸前高田の復興のシンボルとなっている、「奇跡の一本松」があります。

正直、伝承館で映像を見た後、この「奇跡の一本松」を見ると、「本当に、あの津波に耐えて残ったな」と感じざるを得ません。塩害で枯れてしまったそうですが、その後、復興のシンボルとして、永久保存されています。
確かに、僕自身も、諸々の事実を踏まえて、この「奇跡の一本松」を見ると、自ずと、「頑張ろう!」と口にしていました。それくらい、奇跡的に耐えたと思いますし、この場所で、ヒョロッとまっすぐに伸びる「ヒョロ松君」は、本当に多くの人々に希望を与えていると感じました。
【5】美味しいグルメ
最後に、伝承館のすぐ隣には、道の駅「高田松原」が併設されています。
ここでは、三陸の水産物や農産物など、この地域ならではの食や特産品に触れることができます。
昼ごはんまでは時間があったのですが、僕はどうしても、そこで売られていた「はらこ飯」が食べたくなり、買って食べました!(写真を撮り忘れていますが…こちらから)
そして、これが本当に美味しかった!
鮭とイクラがたっぷり乗った「はらこ飯」は、まさにこの地域ならではの味。
三陸は自然の恵みがたくさんあるのだと思います!ぜひ、現地で、美味しいグルメも楽しんでください!
次は、②気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館(宮城県気仙沼市)について記載します。
文責:3児の父 多良 耕太郎










